ぅゎRTA小説っょぃ
一昨年ぐらいからだろうか。小説投稿サイトのハーメルンでは、RTA形式の二次創作作品というものがひとつの人気ジャンルとして確立されてきたように思う。
RTAとはReal Time Attackの略で、ゲーム界隈における、特定のゲームをどれだけ速くクリアできるかという文化だ。クリア条件はストーリークリアに限らず、一定のレギュレーションで目標を達成できればいい。
ここで、何かしらの作品を題材にした架空のシミュレーションゲームを設定する。そのゲームについてRTAを行う様子を描くのが、RTA形式の二次創作作品というわけだ。
ハーメルンで見たことがあるものだと、NARUTOやヒロアカ、ウマ娘、あとは題材とする作品すらオリジナルのものもあった気がする。
ミソとなるのは、ただゲームのプレイ風景を描くのでなく、そのゲームの内容を現実のストーリーのように描くことだ。表現が難しいのだが、プレイヤー視点とキャラクター視点で2つの物語を同時並行に進めると言えば伝わるだろうか。
RTA小説に慣れた人なら違和感もあるまいが、傍から見ると結構異常なことをしている。気付いてるか住民たち。まあこれが文化というものなのだろう。
けれどもこのRTA小説、わりとピーキーなことをしているように見えて、人気を確立するだけの面白さを構築するロジックが存在する。
今からひとつ、誤解ばかり生みそうな極端な表現を使おう。
つまりは、RTAとはストーリーの本質なのだ。
小説の、とまではいかない。本当は小説と書くつもりだったが、おさけの入っていない冷静な頭が待ったをかけてくれた。えらい。かしこい。
ストーリーとキャラの魅力は、相互作用もあるが独立して伸ばすことも可能な部分だ。文章力などはさておき、ある程度まとも、もしくは魅力のあるキャラクターを描けて、しかしストーリーの組み立てに難があるという人は、一度はRTA小説を書けばいいと思う。かなり飛ぶぞ。
私は絶対的に面白い話というものを語れるような人間ではないが、たいてい面白くなる、つまりは王道の物語構成についてはある程度分かる。
それは、どこでも言われていることだが、問題提起とその解決だ。最も手軽なストーリー構成が課題解決型なのである。
しかし、物語においてそれを自然に読者に提示することは難しい。銀魂では依頼者という形式を取り、ドラクエでは勇者・魔王という世に定着した概念から出発できる。けれどその提示方法は、もはや出尽くした。いまやどう提示しても「あの作品みたい」という言葉が付きまとうのだ。
類似した作品に対して読者が狭量だとは思わないが、さもオリジナリティがありますみたいな顔をして提示する場合、見覚えがあれば飽きるし、時に不快感にすら繋がる。
この話は長くなるからいつか別の時に話そうと思う。とにかく、自然な問題提起というのは難しいのだ。
しかしRTA作品は、それをレギュレーション提示の時点で行う。
あるいは、題名で行う場合すらある。
もはやズルである。自然な問題提起? ゴールを一行目に定義できるのはズルい? いやいや、これRTA小説なんですよ。
そんなわけで、物語の目標設定というものを読者はノータイムで理解することができる。ファンタジー作品なんかにありがちな冒頭50ページに渡る世界観・環境説明を待たずとも、物語の趣旨を理解し、主人公の目的を理解し、目指すべきゴールが提示されているために不安もなく、快適に物語に没入できる。ぅゎRTA小説っょぃ。
そして、RTAにおいてチャートと呼ばれるプレイ指針。
これは小説におけるプロットと完全に同義である。
モデルがあるというのは、プログラミングにおいても、政治運営においても、あらゆる場面で最強の準備たりうる。
しかし物語のプロットの立て方というのは、何故か知らないが馬鹿みたいに長ったらしく説明する文献ばかりで、初心者へ一言で説明する手段がなかった。これまでは。
今は、ゲーム界隈のRTA文化を知っている人に対してなら一言で済む。──チャートを組み立てて下さい。
チャートには、無駄なことはわざわざ書かない。けれど必要であればどんな細かいことも書く。(この必要・不必要の感覚が、モデルがないと意識しづらい)
ここであのアイテムを拾って下さい。この道はこう進むのが一番速いです、操作難易度は上がりますが。ボスはこれとそれとそれを倒しましょう。
ゲームというのはフレーバー要素を必ず含む。故に、純粋にプレイすれば不要なことを多く行う。故に、RTAにおいては不自然、異常、奇っ怪な操作が多分に含まれる。
不自然。異常。これは、物語においては最高のフレーバーたりうる。
一般人の日記を読んでもしょうがないのだ。どこかの漫才コンビが言っていたが、面白さは不自然さと共にある。
飽きてきたのでそろそろ終わりにするが、まとめれば、RTA小説は小説において最も重要なことを最も自然に行い、経験がなければ組み立てられないものを容易に構築させうるというわけだ。
文章力。語彙力。発想力。そういったものは経験を積み、学ばなければ身につかないかもしれない。だから、RTA小説を書けば必ず人気になるかと言えばそれは嘘になる。
けれども、正直そんなものどうだっていいのだ。
大切なのは、書き始めること、書いていて楽しいこと、その2つだ。
目標設定とストーリー進行を自然に担ってくれるRTAは、上の2つのことを普通よりずっと平易にしてくれる。楽しく書き続けていれば、応援してくれる読者のひとりくらいは必ず現れる。応援されれば、筆が乗る。続ければ、力がつく。力がつけば、人気が出る。
続ければうんたら以降の話はRTAに限った話ではないが、とにかく作品制作をよく補助してくれるという点で、RTA小説が増える理由はよく分かる。
王道でも邪道でも、RTAでもなんだっていいから、面白いものが増えるのなら嬉しいと思う。また沢山の人が創作を始めて、いずれ自分のために生きるようになってくれたら随分と私にとって生きやすい世の中になると思う。
なんか上手く締まらないから、まあとりあえずこの辺で。