Tenaの制作日記

制作中のものについて適当に書きます。

9.5

 どうにも寝付くことができない。

 このところトラッキングソフトの制作に熱が出て、昨日からやや昼夜逆転気味になってしまっていることが原因だろう。

 マグカップ一杯のカフェオレ。これを飲みきるまでの間だけ、またひとつ能書きを垂れ流してみようと思う。

 

 先々週くらいまでの自分は、やや気負いすぎている部分があった。

 ある程度自覚はあったから自己管理能力を見直すほどではないのだが、気負い熱中しているに自分に酔っていたのだろうとは思う。まあ、今も酔っているには違いないのだけれど。

 

 酔いが冷めたのは、様々なものを賭して書いた作品を投稿し忘れていたことに気がついたからだ。

 あまりに下らなさ過ぎて笑ってしまったが、それまでの期間は感想の通知が一件も来ないことなどにやきもきしたもので、もしかしたらこの作品はつまらないのではないかと何度も心の中で内容を振り返った。

 自分の価値観には一定の信頼を置いているので実際つまらないということはないのだろうが、それでも際限なく振り返り反省し批判した結果、その作品の粗に気が付けた。今日は、そのことについて少しだけ書き残すつもりだ。

 

 結論から言えば、私は面白いものを作るつもりが、いつの間にか能書きを垂れ流してしまっていた。つまりは、この日記と大差ないものを書いてしまっていた。

 もちろん、そこにある程度の物語性はある。主人公がいて、周りの人がいて、設定された環境がある。話には目的があって、始まりがある。

 けれども厄介なことに、承認欲求というありふれた感情が作品に介入し、計算を狂わすことがある。これが作品の一部を陣取ると、多くの場合において作品は個人的なものになる。

 

 個人的なものが悪いとは思わない。そも、創作は自己表現なのだから、自分の言葉で書いた物語が、自分の目と手が描いた絵が、自分の耳と心が生んだ音楽が、そのいずれもが個人的なものでなくなることはない。

 ただし、いま言う「個人的なもの」とは、刺さる範囲が狭まる、同族の傷を舐め合うような作品になる、という意味だ。(傷を舐め合うという表現に貶める意図はない。だってそれは優しさで、愛だ)

 

 けれど私は、以前から言っていることではあるが、本当に面白いものはあらゆる種族の傷を舐めうると思うのだ。そんな作品を書きたいと思っているのだ。

 言い方は変わっているかもしれない。私の中のあらゆる価値観が肯定するだとか、色々な方向から語るけれど、本質は「本当に面白いものを信じること」に相違ない。

 

 論理的に考えれば無理な話である。他者の不幸を願う人間がいる世界で、誰もが幸せになることが叶わないように。

 だが願うのは自由である。目指すのも自由である。なんなら、「絶対は絶対に存在しない」というパラドクス(実はこれ解法があるのだが)の横行する現実で絶対的な面白さを否定することは愚かである。

 まあ面白さは価値観だから、絶対という言葉の対象じゃないって話でもあるけれど。

 

 さてカフェオレが無くなったのでこの辺で。

 眠気はあるんだけど、寝れる気がしない。ちなみに私の作るカフェオレはコーヒー:牛乳=1:1の砂糖なし。近頃牛乳の消費が早くて買い物が間に合わない。