Tenaの制作日記

制作中のものについて適当に書きます。

8.24

 青草が香った。

 青匂とかタイトル付けてやろうかと思ったけど、読み方分からんし意味分からんし文字の並びも美しくないからやめた。しょうもないことばかり気にしている。

 

 こんな感じの日記みたいなものが最近増えたけれど、どうせ私が日記に書くことなんてどこか制作に囚われているのだから問題はないのだと思う。ただ、制作の記録ではないから制作記ではないよなとも思う。制作日記で良かった。これは日記だ。

 ひとつ悲しいのは、書こうとすると「記事を投稿する」という文字列をクリックしなければならないことだ。そういえばはてなダイアリーじゃなくてはてなブログだもんな、ブログなら記事だよな、なんて風に自分を納得させる。

 記事ではない。投稿すらするつもりはない。後者は嘘か。臆病な自尊心と尊大な羞恥心を教わったのは高校だったか。

 

 昨夜、夕飯を食べ終えるとノイズキャンセリングの優秀なワイヤレスイヤホンを耳に挿して布団に横になった。体の疲れを自覚していて、まどろむようにゆっくり眠りにつきたいと思った。

 最後に見た時計はたしか8時過ぎを示していて、次に目を開いた時は11時頃だっただろうか。早い時間に寝てしまうと、深夜に一度目を覚ましてしまいがちだ。部屋の掛け時計は一年前から止まっていて、枕元に置いた腕時計だけが自室で時を教えてくれる。

 けれどもこういったときのまどろみが好きだった。朝でないから起きる必要はなく、寝付きの悪い夜のような不快感もない。有り体に言えばこのときの私は最強だった。急に頭悪そう。

 

 もう一度まぶたを下ろすと小学生の頃に戻った夢を見た。夢に関する記録を残すことにいい噂を聞かないからこの程度の記述にしておくが、後味の悪い夢だった。ホラーっぽさはないが、小学生時代のトラウマがまだ癒えていないことを知った。

 中学1年生くらいの頃まで、私は本当にしょうもない人間だった。今がどうとかではなく、あの頃の自分に関しては断言できるのだ。

 

 目を覚ましたのは朝の4時だった。カーテンを引くと、外はまだ暗い。夏の4時なら明るくてもおかしくない気はしたが、曇っていたのだろうか。

 頭は冴えていたし、8時間眠って身体も癒えたことだろうと思えたから、ゆっくり伸びをしながら体を起こした。台所へ行き、ドッリプマシンに豆とフィルターをセットした。カタカナを並べると文豪にでもなった気分になる。勘違いだからなそれ。

 イヤホンを取り出して、iPadから適当に選んだ曲を聴いた。クリスタを開いて、apple pencilで絵を描いた。すっかり生活がAppleに支配されている。

 相変わらず絵は下手だが、Pinterestで見つけたイラストを横に並べて模写したり、思うままに好きなものを描いたりするのは楽しかった。絵は小説に比べて自分を削らずまどろむように浸ることができる。小説は人生で、絵は余生だ。

 

 さて、ゲームでもしようと思ったがアップデートが必要らしい。経験則から一時間近くかかることを知っていたので、しょうがないからアップデートだけ始めさせて自分は散歩に出ることにした。

 近所の神社まで、行って帰ってくるとちょうどよい距離になる。散歩にスマホを持ち出すことほど無粋なことはないからソファに放っておき、ラフな格好で家を出た。早朝は人が少ないから、マスクは着けない。

 

 道をゆく。すれ違う人も同じことを考えているのかマスクを外している。そうだよな、明け方の澄んだ空気を吸えないなら家を出る意味すらないよ。

 そこで青草が香った。湿気は酷かったが気温がマシなおかげで蒸すような感じはなく、ただ街路樹の青葉がざわめいていた。いまさらだが、香ったのは草でなく木だったのかもしれない。草葉の香りが草の香りなら、木の葉の香りは木の香りだ。

 

 さて、近所の神社は普段それなりに参拝客もいるため寂れていると称するのは少し違う気もするが、敷地の割に本殿の小さい(あるいは拝殿だけかもしれない)神社で、整備も行き届いていない。

 本殿の横にはお稲荷様が祀られているのだが、その赤色の鳥居はかなりボロく、装飾するはずの幣は雨風でほとんど千切れてしまっている。しかし管理者のいる境内で勝手に幣を設置するのも気が引けるから、きっと私ができることがあるとしたら金を払って整備を依頼することくらいだろう。

 別に巫女が好きなだけで神道などまるっきり信じてはいないが(ツンデレ)、それはそれとして今まで沢山の人を愛し愛されてきた場所には報いがあるべきである。救いなんてどうだっていい。信じられるのは自分だけ。だが信じないのと軽んじることは別物だ。

 

 二礼二拍手一礼、そして最後に小さく頭を下げて敷地を出る。入る時は正面からだったが、違う道を通りたかったので裏口から。

 本当に、神なんてどうだっていいのだ。私は自分で自分を救った。あるいは掬った。いつか訪れる余生まで、いまはボーナスタイムを歩んでいる。

 さきほど小説は人生と言ったが、正しくは少し違う。私は過去にひとつ人生を満足させ終えた。たまたま身体が生命活動を続けていて、ボーナスタイムとして第二の生を好きに生きているだけだ。好きに生きられるから、小説に費やそうと思った。

 

 信号を待つ間、明け方の空を眺めた。都会では広い空というだけで珍しさがある。近頃は夜出歩かないから、月を見上げた記憶が随分と遠い。月が綺麗ですねと友人と語らった日はもう何年前になるのだろう。

 ほんの少し日差しが出てきた。蒸し暑さはあるが、これが夏だと思うと多少は愛おしんでやろうとも思える。昔はどうだとか、本当の夏はとかどうでもよくて、これが今の子供達にとっての夏の記憶になるんだろうと思いながら横断歩道を渡る。

 

 うまくまとまらないしこの辺でやめてしまおう。

 これは日記だ。2千字も書くものじゃあない。