Tenaの制作日記

制作中のものについて適当に書きます。

12.24

 真の寛容は無意味だが、芸術は寛容であるべきで、ならば芸術は無意味なのだろうか。

 そんな感じのことをふと思ったので思考整理用に日記をつける。

 

 寛容が無意味というのは、博愛が何も愛していないのと同じとかと似た話で、何でもかんでも受け入れて許すのならば「許す」という行為そのものが存在する意味がなくなるからだ。

 していない状態がなければ行為は言葉として生み出されることはない。なんなら、そのような「行為」は想像することもできまい。

 

 芸術が寛容であるべきというのは、私の個人的な思想だから真理ではないかもしれない。芸術というか、創作という言葉のほうが正しいだろうか。まあなんであれ、その人が「これは芸術です!」と心から思うのなら、誰がなんと言おうとそれは芸術なのだと思う。

 個人的な思想の部分についてより書き記すのであれば、寛容であるべきというより、否定をするべきでない、というほうが正確かもしれない。否定をすることは自らの可能性(あまり好きな言葉じゃない)を狭めることだ。あなたは億万長者になるかもしれないし、地球外生命体と初めて友好を築くかもしれないし、人殺しになるかもしれない。

 

 この辺まで言語化したことで段々と整理がついてきた。

 いつものアレである。そもそも論である。

 そもそも、芸術に意味なんてものを大して求めてはいなかった。芸術は無意味なのだろうか……と不安がることさえ、別に必要なかった。

 しいて言うなら、「これは芸術です!」の一声さえあればそれで十分なのだった。

 

 疲れてたのかな。急に、意味がなければそれをしてはいけないって思想にとりつかれた気がする。今だけじゃなくて、ちょくちょく陥る。きっと世の中の思潮だから。

 クリスマスだ。幸せな気分の人が多い日。とてもよい日。認識は差異に依るから、幸せじゃない人は普段以上に、どこまでも不幸に染まれる日。今日という厄日があるから、他の日は少しでも心が安らぐという人もいるのだろう。とてもよい日。

 

 いつも日記の締めが分からなくなる。

 あれか夏休みの日記帳みたいにすればいいのか。

 

 なんかよく分からないけど、あれです、楽しかったです。明日もなんかしたいです。