8.21
似たようなことをずっとグルグル考えている。
きつい。苦しい。つまりはいつも通りで、この感情にはどうせひとりで向き合うしかない。
誰も見ないけれど誰か見る可能性のある場所を探すとここに辿り着く。
2つ連続で小説を投稿した。
この言葉で完結してしまいそうだ。これ以上語ろうとすると、途端にタイプする指先から力が抜ける。キーボードが嫌に重く感じられる。現代における失語症とさえ言えるかもしれない。
なんだか気取った言葉遣いを選びそうになってしまうことすら嫌気が差す。いつだってそうだ。私は物語を書けたことがない。ただただ自分を書いてきた。
2つの小説のうち、片方は衝動的に書き出して3時間もかからず終わった短編で、もう一方は半年以上メモ帳で育ててきた短編だ。
ひとつ目は、まあいいんだ。衝動で書いたものなんて酔って曰う戯言みたいなものだし、評価もいらない。良かったというコメントに本当か?と問いかけたくすらなる。
内容もかなりふざけた話から出発していて、むしろ今どきはああいったものの方がウケるのかもしれない。
ふたつ目の小説が今の苦しさの過半を生み出している。メンタリストとかお笑い芸人を叩くことに夢中になっている世間への気疲れとかもあるけど、それだけならここまで打ちのめされなかった。
小説で語るべき言葉と、その外で語ることが許される言葉がそれぞれある。ほとんどは、前者だ。だからどれだけ辛くてもここに吐き出せない内容もある。
とにかく、自分を殺したかった。死にたいのではない。私が私に対して定義したこの生の意味を、目的を果たして、よし死ぬかーって言わせてやりたかった。
わざわざ誰かに言うことでもないから語らないが、私にとって死は老衰だとか若くして宣告される癌とかではなかった。
あらゆる点で自分が否定できない作品を認識すること。
ああ、俺がこの世界に存在した意味はこれで果たせたな、と。そう思える作品があれば、私は笑顔で死ねる。物理的に死ぬのかは分からない。わざわざ痛いことをする趣味もないから、都会の喧騒も、ネットの世界も、何も関係ないところでひとり風を食んで過ごすような死に方をしそうだ。
死にこだわっているのではなく、生へのこだわりを捨てられるという意味での死を求めてるんだろうな。
言葉を吐き出している内に段々と落ち着いてきた。
核心的なことも何が辛かったのかもちゃんと書いていないけれど、このあたりで終わってしまおう。
そうだ。本当は、